【AIと思考①】その「なんとなくの悲しさ」を、AIに渡してしまっていいのか?
こんにちは
AIってほんとうに便利ですよね。
ChatGPTに何か聞けば、すぐにそれらしい答えが返ってくる。
調べ物も文章も、最近はAIがやってくれる。
でも、あるときふと、こんなことを思ったんです。
「なぜだかわからないけど、頭の中のモヤモヤ・疑問を、
なんでもAIに渡してしまっていいんだろうか?」
◆ 言葉にならないモヤモヤを、AIは“標準化”してしまう
たとえば、「なんか最近、仕事が空虚に感じる」とか、
「昔できたことが、今はできなくなってきてる気がする」とか。
そういう漠然とした“喪失感”を感じたとき、
AIに尋ねると、とても整った答えが返ってきます。
「それは燃え尽き症候群かもしれません」
「ライフステージの変化による価値観の揺らぎです」——と。
正直、「ああ、そういうことなのか」と安心する自分もいる。
けれど同時に、**“自分の感情が誰かの分類表に当てはめられた気がする”**という、
ちょっとした切なさも残るんです。
◆ 思考のプロセスが“モノ”になっていく怖さ
AIの答えって、効率的で、スムーズで、ある意味“正しい”。
でも、あまりにスムーズすぎて、
自分が「考える」という時間を奪われている気がすることもあります。
本当はじっくりと、
「自分にとってこの悲しさは何なのか?」を考えたかったのに、
AIがそのプロセスを一瞬で“解決”してしまう。
それってまるで、悲しみすら「処理」されてしまう感覚。
心の動きが、ただの“事象”として整理されてしまう。
そして気づいたら、
自分の思考が、どこか他人のように感じるようになってしまっていたりする。
◆ 考え続けるための「間(ま)」を持つということ
たぶん、答えを急がなくてもいいときって、人生にはたくさんある。
AIは便利な道具だけど、
自分の感情や思考をすぐに外に投げてしまうと、
その“問いの種”が自分の中で育たなくなる。
ちょっと立ち止まって、
「これは自分にとって何なんだろう?」と考える余白。
その“間”こそが、自分自身との対話なんだと思うんです。
◆ 次回予告:「考えること」が外注される時代に、私たちはどうやって“私”を保つ?
今回は、「明確じゃない問いをAIに委ねることへの違和感」について書きました。
次回は、さらに深く、
思考がプロセスではなく“機能”として扱われることによって、
私たちが自分自身から少しずつ離れていく感覚について掘ってみたいと思います。
おわりに:すぐ答えが出なくても、それは大事な問いかもしれない
30代、40代になると、
答えがすぐ出ないことって、たくさんありますよね。
それでも、「考え続けること」は、
自分を大切にする一つの方法なのかもしれません。
また次回、お会いしましょう。