今回のテーマは:
「間(ま)」を持つことの大切さ — AI時代に、考え続ける人であるために
【AIと思考③】“考え続ける人”でいるための「間(ま)」の話
こんにちは
この「AIと思考」シリーズも、いよいよ最終回です。
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第1回では、「まだ言葉になっていない問い」をAIに渡すことで、自分から何かが抜け落ちる感覚。
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第2回では、思考が「プロセス」ではなく「モノ」になることの違和感や喪失感について書きました。
そして今回は、そんな時代だからこそ私たちに必要な——
**「考える間(ま)」をどう持つか?**について考えてみたいと思います。
◆ AIが作るのは“スピードの世界”
まず、AIと付き合っていると実感するのは、
とにかく“速さ”が正義になるということです。
・すぐ答えが出る
・要点が整理されてる
・結論が明快で気持ちいい
これ、ビジネスや情報処理には最高なんですが、
人生の問いとか、感情の揺れ動きには、ちょっと“合いすぎてしまう”ところがある。
気づかないうちに、「早く答えを出さなきゃ」「考えがまとまってないといけない」と焦らされてしまう。
◆ でも、本当に大事なことは「すぐには言葉にならない」
たとえば——
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あの時の別れに、まだ自分は納得してない
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仕事がうまくいってるはずなのに、空虚さが残っている
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子育てをしながら「自分って誰だっけ?」とふと立ち止まる
こういう感覚って、すぐに名前をつけたり、言語化したりできるものではありません。
でも、言葉にならない“違和感”の中にこそ、自分の本音が眠っていたりする。
そこにすぐ「答え」をあてがってしまうと、大事なものを見逃してしまうこともあるんです。
◆ 「間(ま)」とは、“問いを生きる”こと
哲学者のヴィトゲンシュタインは、
「問いに生きる」という表現を使いました。
それはつまり、
答えのない状態を、耐えながら抱え続けること。
ちょっと大げさに聞こえるかもしれませんが、
私たちの日常にもそういう時間はありますよね。
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通勤電車の窓の外をぼんやり眺めるとき
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深夜にひとりでコーヒーを飲んでいるとき
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スマホを置いて散歩をしているとき
そんな「間」にこそ、AIでは生まれない“思考の種”がふっと立ち上がってくる。
◆ 考え続けることは、「自分である」ことの土台
「間」を持つことって、
不安になることもあります。
何も生まれてこなかったらどうしよう、とか
考えても答えが出なかったら無意味なんじゃないか、とか。
でも、その“うまくいかなさ”ごと、思考なんですよね。
効率よく答えを出すことではなく、
「自分の問いに、自分の足で向き合い続けること」。
それが、AIには代わることのできない、
“人間として考える”という営みなのだと思います。
◆ おわりに:AIと付き合いながら、「自分にとって大切な問い」を持ち続けるために
AIが日常に浸透していくこれからの時代、
私たちは何度も「自分で考えなくてもいい場面」に出会うと思います。
でも、そういうときこそ、
“ちょっと待って、自分は本当はどう感じてる?”と立ち止まる時間を大切にしたい。
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すぐには言葉にできない気持ち
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誰にも理解されないような違和感
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自分の中で育っていく小さな問い
それを焦らず、雑にせず、丁寧に抱えていく。
その姿勢こそが、
AIと共存していく時代における「人間らしさ」なのかもしれません。
シリーズを読んでくれたあなたへ
全3回のこのシリーズを読んでくださり、本当にありがとうございました。
「なんとなく気になっていたことが、少し言葉になった」
そんなふうに思っていただけたなら、これ以上ない喜びです。
これからも、一緒に“問いを持ち続ける人”でいられたらうれしいです。