ただの「最初」じゃない!本当の意味を知ろう✨
皆さん、こんにちは!👋
「初心忘るべからず」という言葉、一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?
新しいことを始める時、困難にぶつかった時、あるいはある程度の成果を出した時。この言葉を思い出すと、なぜか心が引き締まりますよね。
でも、「初心」って、単に「始めたばかりの頃の気持ち」ってこと?🤔
実は、この言葉の本当の意味は、もっともっと奥深いんです!💡
今日は、能の大成者である世阿弥(ぜあみ)が遺した『風姿花伝(ふうしかでん)』に記された、この名言の真髄に迫ってみたいと思います。
「初心忘るべからず」の表面的な意味と、その先の真実
私たちが普段よく使う「初心忘るべからず」は、主にこんな意味で使われます。
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始めた頃の情熱や謙虚な気持ちを忘れないこと🔥
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未熟だった頃の努力や苦労を思い出すこと💦
もちろん、これも大切な意味の一つです。 どんな分野でも、始めたばかりの頃は「よし、頑張るぞ!」という純粋な気持ちや、何もわからず戸惑いながらも必死に食らいついていた時期がありますよね。その頃の自分を思い出すことは、慢心せず、常に向上心を持つ上で非常に重要です。
しかし、世阿弥が『風姿花伝』で説いた「初心」は、もっと多角的で、人生のあらゆる段階にわたって存在する「未熟さ」や「課題」にどう向き合うか、という哲学が込められているのです。
世阿弥が説いた三つの「初心」🌸
世阿弥は、「初心」を大きく分けて三つの段階で説明しています。これが本当に深い!
1.「是非(ぜひ)の初心忘るべからず」
これは、芸を始めたばかりの、文字通り「最初の初心者」の頃の心構えを指します。
「是(正しいこと)」も「非(正しくないこと)」もわからず、ただひたすらに努力していた頃。失敗を繰り返しながらも、それでも前に進もうとしていた、あの未熟な自分を忘れてはいけない、という意味です。
この時期の経験や感情が、その後の成長の礎となることを教えてくれています。泥臭い努力の記憶こそが、後に花開くための栄養なんですね!🌱
2.「時々の初心忘るべからず」
ここからが、さらに奥深いポイントです。
「時々の初心」とは、年齢や経験を重ねる中で、その都度現れる「新しい課題」や「その段階での未熟さ」を指します。
例えば、
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若い頃の芸風と、壮年期の芸風では求められるものが違う。
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ある分野でベテランになったとしても、新しい技術や知識を学ぶ際には、また「初心者」になる。
といった具合です。
つまり、どんなに経験を積んでも、そのステージごとに新たな「初心」が生まれ、常に自分は未熟であると自覚し、学び続ける姿勢が大切だ、と世阿弥は説いているのです。謙虚さを忘れないことが、真の成長に繋がるんですね!🎓
3.「老後の初心忘るべからず」
そして、最後は「老後の初心」。
これは、老齢期になってもなお、新しい挑戦や、老いによる変化に対応するための心構えを忘れてはならない、という意味です。
歳を重ねると、肉体的な衰えや、これまでの成功体験から「もう学ぶことはない」と思いがちです。しかし、世阿弥は、老いてもなお、新たな表現の可能性を探り、自分自身の変化を受け入れ、それに合わせた芸のあり方を追求する「初心」を忘れてはならないと強調しました。
生涯をかけて、常に自分を刷新し続けることの重要性を説いているのです。まさに生涯現役の精神!💪
私たちの日常生活に活かす「初心」✨
このように見てくると、「初心忘るべからず」は、単なる精神論ではなく、常に自分自身を見つめ直し、成長し続けるための具体的な指針であることがわかります。
仕事でも、趣味でも、人間関係でも、
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「あの頃の自分だったらどうしただろう?」 と振り返る「是非の初心」
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「今の自分にとって、次に学ぶべきことは何だろう?」 と問いかける「時々の初心」
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「年齢や状況が変わった今、新しい挑戦や工夫ができることは?」 と考える「老後の初心」
これらの「初心」を心に留めておくことで、私たちはきっと、より豊かで実りある人生を歩めるのではないでしょうか。
私もこのブログを通じて、皆さんに何か新しい気づきや学びを届けたいという「初心」を忘れずに、これからも精進していきたいと思います!😊
皆さんも、ぜひご自身の「初心」を大切にしてくださいね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!💖